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2009年5月1日金曜日

数字の話

数字とは、恐ろしいほど無垢で、単純で、客観的である

正直、これほどまでに味方につけておいて得なものはないと思う。

あまりに絶対的だからだ

テストの点数は、50よりも70の方が上だ

それは絶対的な真理なのだ

むしろその明白性が数字の全てだ

例えば、投手が自分のスキルをPRする場合、「○○高校の誰それを三振でうち取ったことがある」より、「MAX150kmで変化球は3つです」と言った方がはるかに説得力がある。誰も彼の技術を疑わないだろう

だからみんな、数字にすがる

数字に自分の価値とか、有能さを保証してもらいたくて

また、逆に無能の烙印を押されてしまった者は「数字なんて関係ないよ」と逃げる。もちろん、心の奥では関係ないなどと思ってはいない

数字に自分の価値を求める行為は、つまるところ自分の価値を客観的に証明したい、または認識したいという欲望と深く関わっていると思う

僕はそこに一種の気持ち悪さを感じられずにはいられないし、更に言うなら、人の心が内包する弱さ、それに対する悲しさすら感じる

どうして人は、客観的な部分に自尊心を求めるのか

僕はそうありたくない

でも僕も、きっとそうならざるを得ない

時々、数字に安心させられ、苛立たされる自分が、本当に嫌いになる

数字に支配されたくない

一発でいいからぶん殴ってやりたい

僕は、「奴」が雲の上から僕たちを見下ろして笑っているように感じることさえある


これは前の日記にも書いたが

数字に自己の価値を求めることが最もシビアーな選択肢だと思っている人、それは違う

あなたはただ、数字という絶対的な権威にすがって自分の中の不安定さを解消してもらおうとしてるだけ

古代の日本が、中国の王朝に金印を求めたのと一緒

何の指標もない、まっさらな空間でさえ、自分の行き先を見失わない、それが真の強者の行く道だ


僕は強くなりたい

強い魂でありたい

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