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2009年5月18日月曜日

主観の話

別にフェーリを愛してなくたってフェーリばかり描くことはできる

「愛がある絵は分かる」なんて言葉があると思うけど、俺は信じません

愛がなくたって描き込む技術さえあればいくらでも絵を緻密にすることはできるでしょ

緻密な絵なら「これは愛が篭ってる」なんて、見てる人が錯覚を起こしてもしょうがない

人間って無意識のうちにいろんな損得感情を働かせてるもんなんだと思う

フェーリ描き始めてから東方絵を描くのめっきり減ったけど、

これ、不人気キャラ描いて伸びない言い訳にしたいんじゃないの?って聞かれたら

俺黙っちゃうと思うんですよね 言い返せないっていうか、まさにそうでありそう

人間はどこまで冷静な思考を働かせられるのか

「こうあるべき」を心の中で決めてはいないか?

俺はフェーリを愛しているはずだからフェーリの絵が多めになるべき

だからフェーリを描くのではないか?

俺はフェーリが好きなのではなく、フェーリを愛している俺になりたいだけではないのか?



主観って結構恐ろしくて、それは自分で気付かないことも多いと思う

キライって感情は、まさにそれに支配されてると思う

~がキライって、多分理屈じゃないんだよね

何か嫌なんだよね 論理じゃなくて、もっともっと心の奥のほうで強烈に嫌悪してるんだよね

で、恐ろしいのは、本人がそれを自覚してなくても、自然と論理構成が~を批判する方向に向かうこと

もうね、カクカクした論理とかダメだと思う
そういうの多分、人間には向かないって
理性なんて脳の薄っぺらい皮でしかないと思うから

ほわほわしてぐにゃぐにゃしたイメージの世界に浸りたい
そしてそれを強く自覚したい

そう思うのも、多分俺が絵の上達にイメージ力が不可欠だと思っているからなんだろう

でも、ああ、俺絵が上手くなりたいんだなって考えたら
何か安心できなくもないね

どうして安心するんだろうね

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