正直、苦手なんです、笑顔
何か、妙に笑うの上手い人いるじゃないですか、男でも女でも
そういう人の笑顔って妙に均整が取れてるっていうか、あまりに完成されすぎてて人間のものと思えないんですよね 時々すごく気持ち悪く感じることがあるんです
反面、じゃあ笑うの下手な人がいいかっていうとそうでもなくて
笑うの下手な人は、笑顔の端々に見える微妙な筋肉の動きとかそういうのが、要らん想像を掻き立ててくれるからやっぱりそれも怖い
萌え絵描いてると、いつも顔で迷う
何度も書き直す
色々線引いてみたり、上手い人のをトレスして練習してみたりと工夫はしてるけれど、
直せば直すほど不自然に思えてきて、自分の絵と思えなくなる
しかしかといって日常生活で、こっちの話に全く笑ってくれない人と話すのも心苦しいし
どうすればいいの? と思ってしまう
経験って恐ろしいと思う
多分、僕たちは、顔の筋肉の微妙な動きから、その人の感情を察するのに長けてる
ボクシングに例えるなら、肩や足の微妙な動きから相手のパンチの予測をつける感じ
あまり人の顔を気にする人は、常時フェイントを入れられた状態になってるんだと思う
パンチなんて入れてくる人そういないはずなのにね
格ゲーにも通じるものがあると思う
他でダメージを取れる自信があるなら、多分固められても冷静に結界したり、時には大胆に、一点読みで切り替えしたりできる
でも他の要素でも負けていて、尚且つ攻められてしまったときは、結構余裕が無くなって安易な罠に引っかかってしまう率が高いように思える
そういう一連の試合の流れも加味されるから、僕はボクシングのカウンターって美しいなぁって思うんですが、まあそれは別の話で
兎に角、表情のひとつひとつに過敏に反応してしまう現象っていうのは
そもそも主体である「自分」が逃げ腰になってしまうのが原因だと思うんだけど
では逃げ腰にならないためにはどうしたらいいのか
「NHKにようこそ」では中原岬が「相手を徹底的に見下す」って言ってた
まあ間違ってるよねっていうか、筆者もそれが正しいと思ってないよね明らかに
俺の考えは、柔よく剛を制すっていうか、何だろう
常に揺らいでいて、つかみどころのない、アメーバ状の「自分」を強く自覚することなんじゃないかって思う
要するに無駄なプライドを捨てるってことなんだけど
でもプライドがない人間って美しくないし
一本だけでいいから、自分の支えになってる隠し刀のような「プライド」を見つけることが重要なんじゃないかな
それを見つけることが、もしかしたら俗に言う「自分探し」なのかもしれない
そのかけがえのない「自分」を見つけたら、それを大事に、ずっと育てていく、研いでいく
そんな人生がいい
まあ実の所、僕は「自分」なんてものが生きてるうちに見つかるなんて思ってないけど
右手で右手は掴めませんからね
でも理想を語ると一瞬現実から逃避できた気になっていいよね
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